2006-01-19から1日間の記事一覧

AC

3歳で初めて中華学習機に触って以来、パソコンは自分にとってはおもちゃになった。 親も職業柄いろんな人と出会うので、日本に来てからも 常にパソコンが手元にあった。 世代的に考えると Basic、MS-DOSとWindows3.1以降のWinodws全シリーズを使ったことにな…

高校

惜しくも?第一志望の県立のトップ校をはずした俺は、 私立の高校に通うことになった。 高校では最初数学研究部なんてものに属していたのだが、 周りにちょっとひいて2年になったとたんに行かなくなる。 それから、ひきこもりじゃないけど、学校か家かの生活…

中学校

小学校とほぼ面子の変わらない中学校に入学。 市内でも有名な不良校で生徒数120 1学年40人を二クラスに分けてもうるさくて授業ができないレベルだった。 そんな学校で、3年間パソコン部を貫き 生徒会に入り 優等生で調子ノリの俺は当然ながらいじめにもあっ…

小学校@japan

当時は日本語があまりわからないながらも、 伝えたいことを伝えるために一生懸命だった。 風習の違いや周りの子の性格の違いもあって、 かなり恥をかいた。 忘れもしない最初の算数か理科の授業で、先生がいきなり 黒板に天秤書いて、ウンコの絵を描いてウン…

日本へ渡航

小学3年の夏、お母さんとともに日本にやってきた。 三重県津市の小学校に入学して、 再びなれない環境での学生生活が始まる。

お父さん日本へ旅立つ

1年生の終わりにお父さんは日本に留学に行く。 幼い俺はお母さんと二人で暮らしてたんだと思うのだが、 それから自分が日本へ来るまでの1年あるのだが、その間の記憶があまりない。 母も仕事があったし、実際どのように生活してたかは想像がつかない。 いろ…

小学校

裏口で北京のトップ校ともいわれる小学校へ入学する。 裏口って言うのは場所の違いで、地区外への通学は許可されてなかったからで、 親戚の偉い人に頼んでどうにかしてもらったらしい。 しかも、お受験時におばあちゃんちに帰ってて、試験さえ受けた覚えがな…

天才

当時結構賢かった俺は遊園地のIQ測定見たいのものをやったらしいが、 その結果相当賢いといわれたらしい。 …それが今じゃこのざま… なさけねぇ。 あのころが俺の最盛期だったかも知れんなぁ バイオリン、絵画、書道?など習い事もいっぱいしてた記憶があるし…

ガキ大将

慣れてくると幼稚園ではガキ大将だった。 いつも友達とつるんでエアーがん持って遅くまで遊んでた記憶がある。 おかげで今でも夕焼けを見ると風のにおいで当時を思い出したりする。 それにしても何回友達泣かせたことか… みんなごめんよ。 しかも、今でもア…

3歳

この年に親が部屋を借りれて幼稚園の手配もできたらしく、 北京に上京する。 当時はかなりおばぁちゃん子ですごい泣いた記憶がある。 そこでお父さんがない金出して2000元で買った中華学習機と出会う。 参考までにその当時のお父さんの給料は月で200元くらい…

3歳まで

祖父もまだ仕事をしてたのか、叔母さんやお婆さんに世話されて育つ。 テレビもまだなかったかで、やることもなく、子供の癖に百科全書が大好きだった。 中でも第八巻の天文学が好きで、将来は宇宙へ行くんだと思ってた。 この時点で十分ACだったかもしれない…

自分が生まれるまで

北京生まれのお母さんは自動的に卒業後就職が北京に決まったが、 お父さんは石家莊という北京から汽車で3時間くらい離れたところ(中国的には近く) に戸籍があったため北京へは就職するためには修士を取りにで北京に行かなくてはならないらしく、そのため2…

父と母の出会い

大学で出会う。 文化大革命のため10数年間?学生を募集してなかった大学が久々に学生を募集して 競争率が110倍だった年に二人とも同じ大学の医学部に入りそこで出会う。 そのためお母さんのほうが一年年上 実は父は第三志望まで全部工学部志望だったらしいが…

登場人物の紹介

父=頭いいし運動もできて結構万能。ある意味おやじぃの田村正和 母=頭はいいのだろうが、最近は不勉強で昔の面影がない 祖父=旧日本帝大、満州大学卒。戦争にはあまり縁がなかった系

人生の歩み

http://d.hatena.ne.jp/kanbayashi/20060118 こんなことを書いてるやつがいたので 俺もつられて書いてみる。

彼女

1年の夏に地元の津市に帰ったわけだが、実家にはクーラーがなくて どうも暑くて、家にいても居心地悪い。 プログラミングなんかもやる気になれなかったところへ 父がバイト行けよって言ったのをきっかけに 涼しくて条件良さそうな近くの有名デパートでバイト…